自分のものでない言葉

 

ジュンパ ラヒリのエッセイ、In Other Words。あまり批評家の間では評判がよろしくない。シャープさに欠けるとか、深みがないとか。彼女らしさが消えてしまっているとか。それがポイントではないのかと僕は思うのだが。

今まであってきた日本人の中で、日本語を喋っている時と英語を喋っている時とは性格が全く違う人々をたくさん見てきた。言語というものは、ただ単にコミュニケーションの手段というだけではなくて、人格形成に大きく影響を与えるものでると思う。人間は、言葉を通じて世の中を理解し、言葉を介して自分は何者かという概念を作り上げていく。もちろん、日本語で言うところの『体験』というものも人格形成の大きを占めているのだが、人から母国語を取り上げてしまうと、自分の大きな一部を失うようなものだ。

母国語でない言語を喋るということは、ある意味、自分の脳みその大半が入れ替わってしまったようなもの。英語がまだ自分のものになっていないうちは、「なんであんなこと言っちゃったんだろう。日本語では絶対わないようなことなのに。」ということがよくある。今でこそ、そんなことはなくなってきたが、アメリカに住み始めて、初めの7−8年くらいはよくあった。